軌跡
高学年を持っていてとくに感じるのが、「いじめ」の問題が見えなくなるということです。中学年や低学年でもそうですが、高学年にもなると本当に発見が難しい。ぼくは、クラスの雰囲気が悪くなることのひとつが、「いやな笑い」だと思っています。「笑われた…
クラスの中で、わりと使う歌の一つが、ポケモンの歌です。 それも、『めざせ ポケモンマスター』っていう、1997年に発売された一昔前の曲。 しかも、これをぼくは、低学年であっても高学年であっても、けっこう使います。
「丸つけが大変!!」と悩んでいる先生方がたくさんおられます。放課後になると、机の上に、子どもたちから集めたノートが山積み。そんなこともあります。 でも、この丸つけ、本当は子どもたちに力をつけるチャンスだし、関係性をよくするポイント。ぎゃくに…
40前になってこんなことを夢見る、ぼくはおかしいですか? 学校につとめ、子どもたちと接しながら、ぼくはこんな世界を夢見ています。
子どもたちが先生から学ぶということを、ぼくたち先生の立場にある者は、当然のこととして受け止めている傾向があります。でも、「学ぶ」ということについて考えていくと、「先生=教える」という固定した見方が生み出している先生ー子どもの関係性を、変更…
「どうして勉強しなければいけないの?」と聞かれたらどう答えますか。これは、「学校にはどうしていかなければいけないのか?」とはちがう質問です。この答えによって、できあがってくる授業は、変わってきます。
パパ友の友人に、こんなことを聞かれました。 「えっへんたろうって、むすこさんと仲良くおしゃべりしているでしょ。さすが、先生って思うんだよな。どういうことに気をつけて、遊んでいるの?」 そこで、いつも学校の先生としての記事が多いのですが、今回…
ずっと考えている、これからの学校で必要とされること。 現在必要とされる学校とはどういうものか。 そして、それはどのように子どもたちの力になれるのか。 今回は、これらを考える時の根底ともなる、「学習」という言葉について考えてみます。
ぼくたちの仕事(学校の先生)は、「100年時代」にも必要と言われる仕事であるのでしょうか? ぼくは、今のままでは足りないと感じています。 少なくとも、こんな問いに答えられる自分でありたいと思います。みなさんは、いかがですか?もし目の前の保護者さ…
「人生100年時代」を考慮した時、ぼくたち教育に、子どもたちの学びに関わる者の役割は、とっても大きい。考えてみませんか?ー「子どもの学びに関わる者としての心得はどんなものだろうか?」
家の本棚のなかに、教養という言葉をタイトルに含む『教養としての言語学』という本がありました。 そういえば、最近あんまり、「教養」ってきかないなぁ・・・。 どちらかといえば、専門知識を身につけることが重視されてますよね。 教養って、古いのかなぁ…
学校での実践の多くは、言葉をつかって行われていきます。 「非言語」も大切ですが、でも、やはり、言葉を大切にしている教室はあたたかい。 逆に、この言葉の力をないがしろにする教室は、ギスギスした感じになってきます。 すてきな言葉が飛び交う教室は相…
キセキの時間がある。これは、ぼくなりにクラスの子どもたちの様子に合わせて、菊池先生の実践ーほめ言葉のシャワーーを取り入れたものです。 うちのクラスでは、この年、日直さんのキセキを帰りの会で発表するということをしていました。全員から、たくさん…
「授業をしていると、学力の違いが気になります」という声はよく聞かれます。 だから、それを何とかしようと、算数の授業では少人数で授業をしたり、一斉授業で教科書の内容を教えたりします。でも、それで最初の悩みが解決したことにはなりません。これは、…
ヴィゴツキーは、ぼくのような学校現場の人間(教育の大切さを感じつつも、現在の学校教育のあり方に限界や問題点を感じている者)にとって、刺激的で大切な観点を与えてくれます。こういう古典にあたると、結局、教育の世界って、同じような内容を、「まる…
ヴィゴツキーの心理学説は、人間の心理発達の法則性や心理過程の基本原則を明らかにする(たとえば、発達の最近説領域など)。 今回は、ヴィゴツキーをもとにして、学校の先生について考えてみたいと思います。 ここ何回かの学びで使わせていただくのは、柴…
2019年2月号『プレジデント』で特集している「言いにくい話の伝え方」のなかから小路明善氏(アサヒグループHD代表取締役兼CEO)の記事を読みました。氏の記事を、学級経営との関連で読み解いていきたいと思います。ビジネスの世界のトップの話、学級経営と…
教科書では当たり前のように、漢字が使われています。もちろんルビなどをふればよいという話なのですが、やっぱり子どもたちにとって「漢字」は、大きな障壁。ぼくは、少しずつ、アプリを使うようになりました。
この年、子どもたちを送り出す前日、特別な思いで過ごしました。 夜、暗くなったクラスの中で、ひとり一年間を振り返りました。 この子たちを送り出すのか・・・と思うと、たまりませんでした。 「この日をめざしてきた」はずなのに、「この日に来てほしくな…
昨年度、ぼくのもっていた学級には、支援を必要とする子ども(Bくん)がいました。 学年がはじまるとき、ぼくは問われました。教室内で見るか、他に任せるか・・・。 ぼくは、迷わず、クラスの中で他の子どもたちと一緒に見ていくことを選びました。
今回は、最終号にのせるもう一つの記事です。 年によっては、なかなか書けない年ってあるんです。 子どもたちのこと見つめ、子どもたちのことを考えているんだけど、なかなか文章にならない・・・。そういうこと、あります。 でも、
今回は、最終号の紹介をします。 これは、5年生を担当していた年です。 終業式前、教室で1年間のことを振り返ります。そして、ざっと書いていきます。
この年と、この前の年、ぼくはクラスで、「きせきのノート」づくりをしていました。この実践は、現在、教育実践研究家をしている菊池省三氏の実践をもとにしてすすめてきたものです。実践を少し紹介した後で、ぼくが子どもたちに、どのようにこの実践を紹介…
委員会とか係を決めるというのは、スタートのなかでも大切なことのひとつ。子どもたちは楽しみにしていますが、そのときも子どもたちどうしの人間関係を大切にします。学級をつくっていくスタートが気持ちよくきれるかどうか、勝負のところ。 ぼくは、その次…
はじめての授業を紹介しました。 これは、そのときの子どもたちのノートをもとにしてつくった学級だよりの抜粋です。 ノートを紹介する時に、子どもたちのノートから引っ張り出すのは、子どもたちの「振り返り」部分であることが多いです。 最初のポイントで…
今回は、2017年4月12日の学級だより『6−1のきせき』からの記事を紹介します。 第5号を出したこの前日に授業をしたことになります。 ぼくのこの年のテーマは、「つながる授業」です。
去年、子どもたちと創った授業のなかで、面白かったとおもったのは、宮沢賢治の『やまなし』とsekai no owariの『rain』とを対比して読むという活動です。 宮沢賢治研究者や、まじめな先生方、『やまなし』の実践を追求している方々からは、厳しい叱責をいた…
この日は、ノートの記録といっても、子どものノートで振り返るということをメインにしています。振り返るときに、授業の流れがわかるように振り返るということもありますが、この時はそれよりも、この4月の時点では発表をすること自体が大変だったんだとい…
この年の子どもたちの出会いは、ぼくにとって、いろいろなことを感じる瞬間の連続でした。もちろん、毎年、いろいろなことがありますが、勤務している年数からいっても、そろそろ異動だろうというときだったのもあり(実際はもうしこし長かったのですが・・…
学級だより『ほっと』をみていたら、第100号にこういう記事がありました。