ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

算数|基礎とは家の土台、基本は高い塔の心柱のようなものなんだ。

「基礎・基本」という言葉は、いざ聞かれるとその違いが明確になっていないなんてことありませんか。ここでは、基礎と基本の違いを整理して、授業をする者としてこの二つを整理しておくことの意義を考えます。

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ぼくは、坪田耕三先生の整理が分かりやすいなって思っています。

 基礎とは建築の土台

「基礎」とは、家を造る時の土台のようなもので、その土台の上に新たな建物が構築されるとみる。(坪田耕三『算数科 授業づくりの基礎・基本』p.6より)

算数は系統性がはっきりしている教科だから、前の学年で学習したことが今の学年で学習することにつながっています。言い換えれば、一つの内容の獲得の上にさらなる新しい内容が積み重なっていくという見方ができます。たとえば、坪田先生が出している例でいえば、2年生の「かけ算」の基礎には、1年生の「たし算」がある。逆に2年生の「かけ算」を基礎と考えると、3年生の「わり算」は発展といえます。

 

「基礎」と「発展」の関係が次々に連鎖のようになって、上へ上へと積み重ねられていくと考えたい。(坪田耕三『算数科 授業づくりの基礎・基本』p.6より)

 

基本は家の心柱

「基本」については、高い塔を建てる時、下から上までを貫き通す芯になるような柱を考えてみることができる。算数授業の場合は、1年生から6年生までを一貫している「考え方」といってよい。(坪田耕三『算数科 授業づくりの基礎・基本』p.7より)

また、別の場所では、こんな言い方もしている。

「基本」とは、建物の心柱のように下から上まで貫き通している一本の中心的支えとでも言えるものである。算数教育の世界では下から上までに通じる骨となる考え方と言ってもよい。()

何年生であっても、どの内容を学んでいるにしても、そこに共通しているもっとも大切にされるべき考え方というのあって、それを「基本」といいます。 

 たとえば、坪田先生の例にしたがって、「量と測定」の領域を考えてみます。すると、長さの学習でも、面積、体積、重さの学習でも、そこに共通している考え方があります。「単位を決めて、そのいくつ分かで数値化しよう」ということです。

 

(1)数と計算領域の基本:十進位取り記数法の原理・位ごとに分けて計算する など

(2)量と測定領域の基本:単位を決めて、そのいくつ分かを数値化する など

(3)図形の基本:概念の形成過程を体験する など

(4)数量関係の基本:きまりを発見する、変化の見方・対応の見方をする、表やグラフに表す、式に表現する など

 

そして、基礎をこのように捉えた時に出てくる大切な概念が、「応用」になります。

 

(共通するもっとも大切にされるべき)考え方が「骨」となって、そこに付随する内容が「衣装」となれば、算数の内容が豊かなものになっていく。基本の考えが骨であれば、そこに肉づけして着せる衣装が「応用」ということができそうである。(坪田耕三『算数科 授業づくりの基礎・基本』p.8より)

 

授業者として基礎・基本を知ることの意味

結局のところ、授業を実践するぼくたちにとって、この基礎と基本とを知っておくことが何になるのでしょうか。

ぼくはそれを、「子どもたちのことを評価するため」と考えています。評価するといっても、AとかBをつけるというのではありません。もっと、「認める」に近いものです。

授業は子どもたちとの、または、子どもたちどうしのやりとりの連続。そのなかで、子どもたちのつぶやきや発言、または言葉になっていない情報などから、この子どもは「どこまでわかっている」「どこまでわかっていない」を判断し、授業の流れを修正・訂正していきます。

そのときに、今やっていることの基礎となっていることが何で、発展に位置付けられるのが何かを理解しておくと、「きみの考え方は、もう来年学ぶことに入っているぞ。すごいなぁ。」とか、「いまは、その答えは違うけど、ちゃんと基礎ができている。よくがんばってきたんだね」と、認める声をかけることができる。

ぼくは、授業は、心と心のつながりの中で生まれてくると考えています。でも、ただ、闇雲になんでも褒めれば良いのではなく、子どもの考えの価値を見出し、それを評価できるようになりたい。そのためには、基礎と発展を理解しておくことがあると思っています。

 

一回一回の授業をつくる上で、基礎を理解すると同様に大切にしているのが、「基本となる考えは何か」ということです。これがわかっていると、坪田先生がおっしゃるように、授業がぶれにくくなります。とくに活動の後に顕著ですが、子どもたちから出てくる考えは多様性に富んでいる。その多様な発言の表現しようとしていることをみるときに、表現のされ方は様々だけど、どれも基本のところで共通していれば、認めることができる。

 

ようは、本当は認められるべき答えを、むやみに「まちがい」とレッテルをはらないように、気をつけたいのです。逆に、一見違うものでも、「共通する部分があるね」と見れるようになりたいし、さらにいえば、子どもたちからも、日常生活の中でそのように見れる人に出てきてほしいと思っています。

基礎と基本を理解しておき、こちら側の受け止められる範囲を広げておくことで、授業中の笑顔を増やしたいものです。