ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

父ちゃん日記|子どもはやはり、よく見て学べる存在だと思う

昨日、息子をサッカーの練習につれていきました。

息子はこの4月に小学校にあがります。

その彼が、ここ最近、サッカーを習いたいといっているのです。

親としては、どうしようかと考えるところですが、「やりたい」というものを、ただ「ダメ」とするのは嫌なので、何かを学ぶ機会になるだろう・・・とつれて行きました。

 

さて、どうでしょう。

なかなかどうして、彼はよくやっている。

 

何よりも、「できなかったとき」がいい。

はじめてのことばっかりで、できないことが山ほどある。

じっと周りの子たちの様子を見ていて、そして、「よし」と思ったら、また練習に取り掛かる。

 

「できない」のだから、コーチの話もよく聞いている。

とちゅうやりたくてムズムズしている様子も見られたけれど、でも、考えてみるとそれもすてきなことだと思う。だって、「やりたい」のだから。

 

まだ小学生になっていない息子だからこそ、学校にいっていない状態の子どもの様子、この年齢の子どもの様子がよく見える。

 

「学校でこのような可能性を奪ってはいけないのだ」と、教師として感じる。

まわりの友だちは、自然と「よいお手本」になっている。

 

翻って考えると、大人は学び下手だと思う。

大人になるまでの間に、勉強するということが嫌になってしまうことも少なくない。

学びを、新しい世界に入る時には必ず自然に行なっていることと定義しているぼく自身は、学びがなくなるようなことはないと感じているのだが、それにしても、「勉強はきらい」とか「おもしろくない」と感じている人は少なくない。

いったい、いつ、どこで、なぜ、どのようなきっかけで学びから離れてしまうのだろうか・・・。

 

みなさんは、どんなふうに考えておられるのだろう・・・。