ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

菊池先生の実践から学び、自分のクラスで挑戦。「友だちのきせき」を書いて、友だちのよさを見つけるアンテナを磨こう!!

この年と、この前の年、ぼくはクラスで、「きせきのノート」づくりをしていました。この実践は、現在、教育実践研究家をしている菊池省三氏の実践をもとにしてすすめてきたものです。実践を少し紹介した後で、ぼくが子どもたちに、どのようにこの実践を紹介したか、バックナンバーで紹介します。

 

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クラスのテーマは「友だちを大切にできる一人ひとりを育てること」

この年の子どもたちと接するときに、

テーマにしていたことがありました。

 

それは、「友だちを大切にできる一人ひとりを育てること」。

これは、4月のスタート時に決めたテーマです。

 

ぼくは、このテーマを決めるにあたって

2つのことを実践項目として掲げました。

 

実践項目1「全員を特別扱いをする」(きせきのノート)

1つは、「特別扱いをする」ということです。

子どもは、

誰かを特別扱いすると、

それを「えこひいき」とみることがあります。

 

昔からそうです。

これをすると、

基本的にクラスは難しい方向に流れていきます。

 

「あの子だけいいなぁ」は

「なんで、あの子だけなん?!」になり、

「なんかイライラするわ」になる。

 

その悪い雰囲気は、

あっという間に教室内に行き渡り、

瞬く間に、

先生ー子どもの関係も乱れるし、

子どもー子ども関係にも緊張感が走る。

 

だから、特別扱いをすることは、実にむずかしいです。

 

先生たちはよく、

「特別扱いなんてしていません!」

と言います。

 

でもぼくは、

この年、

この1年間で、

「特別扱いが必要になる」子どもが出てくる

ことは想像できたのです。

 

そこで

ぼくは、

「特別扱いしていません!」と嘘をつくのではなく、

「全員を特別扱いすることをめざします!!」と、断言しました。

 

一人を特別に扱ってひいきとうつるのは、

よくわかります。

 

そして、

それを攻撃したい子どもたちの心理の背景には、

「自分のこともよくみて欲しい」という欲求があります。

 

ぼくは、

「見てもらいたい」

という欲求自体は、悪くないと考えました。

そして、

だったら、

全員に「みてもらっている」という感覚を持って欲しい

と、考え方を変えたのです。

 

クラスの子どもたちにはこれが必要だろうと思ったのです。

5年生、6年生でしたが、

最初の印象で「特別扱いされるということを求めている子どもたち」だと、

感じたからです。

 

そこで全員で

「きせきのノート」

というジャーナルを作っていくことに決めました。

 

そこには、様々なことがかかれます。

こちらがテーマを指定しその内容を書くこともあります。

 

でも、中心的な役割は、

友だちのよいところを見つけて、

それをノート中に書きためていくことです。

 

これは、菊池氏の「成長ノート」の実践から学びました。

 

実践項目2「友だちのよさを見える化する」(「友だちのきせき」と「きせきの時間」)

子どもたちは、想像力がたくましい。そう思います。

でも、それと同時に、想像力が乏しいとも思います。

クリエイティブな作品を作るかと思えば、

周りの人の気持ちを想像できなかったりする。

これらは、種類が違うんだろうなって思います。

 

同じように、

「友だちはいいもんだ」

「友達は大切です」

と口では言っても、

それは、実感としてはもっていない子どもがたくさんいます。

 

だから、

ぼくは、

小学生のうちに、

本当にその友だちのよさを見つけることが大切だと思うんです。

個人個人の成長を考えた時にもそうだと思うし、

クラスをつくるということを考えても、

この実感が欠かせない。

これがないと、

表面上は助け合っているように見えて、

実際には、ばらばら。

そんな、よくあるクラスになっちゃう。

 

そこで、

友だちのよさを実感することをめざした時間を設定しました。

それが、「きせきの時間」です。

 

「きせきのノート」に書いている友だちのよいところを、

「友だちのきせき」と呼び、

その「友だちのきせき」を相手に伝える

それが、「きせきの時間」です。

 

その時間、

子どもたちは、

自分の良いところを友だちの口から聴き続けます。

そのなかで、「ああ、ぼくにはこんなところがあるのか・・・」と

自分の良いところを知ります。

そして、そういうところをみてくれる友だちがいるのかと、

その友だちの存在を感じてほしいと思っています。

そうすることで、ようやく、友だちが見えてくると感じています。

 

この実践は、菊池氏の「言葉のシャワー」の実践から学んだものです。

 

(*この2つの実践の実際は、別のときに書きます。)

 

さて、この「友だちのきせき」。書き始めると、まんねりしてきます。

そのころに、「先生、どうして書くの?」というつぶやきも出てきます。

今回紹介する学級だよりは、そのつぶやきを拾ったときのものです。

 

学級だより:なぜ「友だちのきせき」をかくのか?

みんなは「友だちのキセキ」を書いています。

さて、この活動をもっと意味のあるものにするために、

みんなに

どうしてこんなことをしているのか

を伝えます。

 

「すてきな友だち」というのは、

クラスのなかにたくさんいます。

「やさしい行動」というのは、

クラスのなかに毎日あふれています。

 

そして、

こういうものに「気づける」ということは、

「ああ、ぼくは・わたしは、すてきな友だちに囲まれているんだな」とか

「ああ、ぼくは・わたしは、しあわせだな」とか

すてきな気持ちになれるということです。

 

でも、じつは、

この「気づく」ということは簡単なことではないようです。

けっこう、見逃してしまいます。

 

見ているはずなんだけど、見えないんです。

 

だから、こういう「やさしい行動」に気づける人になれるように、

先生はみんなに、「友だちのキセキ」を探す目

をもってほしいと思ってほしいと思います。

友だちの心を感じるアンテナを、しっかり磨いてほしいと思います。

 

磨くんです。どうして、先生は「磨く」という言葉を使ったのでしょう。

 

それは、そういうアンテナを、

本来みんな持っていると、

先生は信じているからです。

 

ただ、それは、毎日磨いてあげないと、すぐに曇ってしまう。

 

曇った鏡には、きれいな姿が映し出されないのと同じように、

曇った心や曇った目には、友だちのよさが見えません。

それは、幸せではないと思うんです。

 

いまのところ、

いつも友だちのキセキをひとつしかかけない人がいます。

あなたが「ひとつでよい」と感じているとしたら、

それはもったいないことです。

たくさん気づける人の方が、幸せだと思うのです。

楽しいことがたくさんある。

 

いいですか?

数が勝負じゃないのもわかりますが、

同じ時間を過ごしても、友だちのよさを10個見つける人がいます。

その人は、きっと、たくさんのすてきに囲まれていることに気づける

「幸せな人」です。

 

 

先生は、それをこの1学期一番大切にしています。

だからこそ、授業中であっても、

キセキのノートは机の上に置いておくようにしています。

 

「授業の中身に集中できるように、授業と関係ないものは机に出さない」

と教わってきたかもしれません。

でも、それをくずしてでも、

みんなには、

友だちのよさを発見するアンテナを磨いてほしいと思っています。

(2017年4月26日6年1組学級だより『6−1のきせき』第18号より)

 

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