ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

「人生100年時代」ー子どもの学びに関わるものの心得ー100年時代にも必要と言われる仕事であるための考察

人生100年時代」を考慮した時、ぼくたち教育に、子どもたちの学びに関わる者の役割は、とっても大きい。考えてみませんか?ー「子どもの学びに関わる者としての心得はどんなものだろうか?」

 人生100年時代」という言葉、あちこちで耳にします。それもそのはず、日本政府も、2017年に「人生100年時代構想会議」なるものを立ち上げていますしね。

人生100年時代」を考慮した時、ぼくたち教育に、子どもたちの学びに関わる者の役割は、とっても大きい。そりゃそうです。だって、人生100年時代を見据えるといったとき、「人生100年時代」は未来のことのように感じるかもしれませんが、何を隠そう、ぼくたちこそが、その未来を生きる人々と日々接しているのですから。

 

 

 

人生100年時代って?

 

100歳まで人生が続くのが当たり前。

そんな時代が、人生100年時代です。

 

リンダ・グラットンさんが書いた

『LIFE SHIFTー100年時代の人生戦略』(2016年)が

ベストセラーになったんです。

 

そして、この「人生100年時代」みたいな言葉も

ばっと広がった。

 

それは、危機感と一緒に広がっていくんです。

だって、

単純に考えて、

 

人生80年の時代は

60歳で定年を迎えてから20年

そこで、人生を全うする。

 

これが、まあ、イメージしやすいところです。

でもでも、

人生100年時代」は

そこからあと20年

人生が続くんです。

 

「そこ」からなので、

定年の日からは

40年です。

 

 

まあ、いま若い人たちにはパッとこないかもしれません。

何歳ぐらいから、このことが危機感を持って感じられるのかなぁ・・・。

 

定年のときを想像してみると

「よし、がんばってここまで勤めてきたな」

って自分を褒めてあげたいような

定年の日をむかえたとして、

そこから40年あるんです。

 

もちろん、このこと自体は悪いことではないのです。

でも、冷静になるとわかる。

 

このときに、いくらあれば、満足の人生を生きていけるわけ?

 

ってわけです。

 

もちろん、金銭的なことだけがすべてでてはない。

趣味があるからいい。

そんなこともあり得ますよね。

すばらしいと思います。

でも、それが体を動かすことだった場合、

 

それまでに怪我をしてしまっていたらどうするのだろう・・・

 

とまあ、そういうことです。

 

上の元気な定年という前提も、

若干、あやしいものです。

だって、すてきな定年の日を迎えられるかどうかって、

それも、わからないじゃないですか。

 

学校でつとめながら、

毎日必死になっている人たくさんいます。

体力の限界と戦い、

気持ちをすり減らし、

それを続けていって、

定年の日に、どんな気持ちがまっているか・・・

誰もわからない。

 

わかっているのは、

そこから先が長いっていうこと。

 

そうなると、

 

人生を、

 

その時間をどのように<幸せに>過ごすかということは、

 

大きなテーマになってくるわけです。

 

 

今の社会は、「人生100年」続くことを前提に出来上がっていないんです。

 

今は単純に、

「学校に入って学ぶ時期」ー「仕事をする時期」ー「定年後」

という3ステージ型の人生イメージが

まだ一般的でしょう。

 

でも、この「定年後」が異様に長くなってしまった場合、

「学ぶ時期」が、「学校に入って学ぶ時期」だけでよいのか

という問題もあります。

 

まあ、もっと気になる方は本を読んでみてください。

それほど、わかりにくい本ではありません。

まあ、途中のデータ的な部分を流し読みしたとしても、

おおきなメッセージを受け取ることはできます。

しかも、この本自体は、

「読んだ人をネガティブな気持ちにしよう。」

という意図で書かれていません。

ようは、新しい観点を与えてくれると思います。

 

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

教師的「人生100年時代」の捉え方

ぼくが言いたいことは、

 

こういう時代の捉え方が正しいとすれば、

ぼくたちが

学校の先生としてやっていることを

謙虚に見直さないと

 

ぼくたちは 

誤った方向に子どもたちを進めてしまうかもしれませんよ

 

という、

まあ、そういう、あたりまえのことです。

 

ちなみに、

そんなことはあり得ないというのは

歴史に学んでいません。

学校の先生たちは、

自分の教え子たちを、

「その場の当たり前」の流れに乗っかって

戦場に送ってきた歴史があるのです。

 

もちろん、意識している方は、すでに実践を開始していますので、

そのようなところを

心配してはいません。

 

でも、そうではない方もたくさんいるのを、現場でみています。

 

教師と子どもとの立場の逆転現象

今もまだ、

講義型の授業しかしていない

授業の準備をパワーポイントですればよいと考えている

学校で起こった問題を解決するのに、弁護士などを使えばよいと思っている

 

先生方

そういった価値観は、

危ういです。

 

ひとつひとつが、

今の時代 この社会が

学校に求めようとしていることと ずれてしまいそうでこわいのです。

 

講義型の授業やプレゼンテーション形式で行う授業は、

その前提に

知識はパッケージとして伝達できる

という

考え方があります。

ここでの問題は、

 

受け取る側の多様性

 

が前提とされていないことです。

もちろん、そこを踏まえて授業をしている方もいます。

 

でも、多くの場合、

「その方が効率的だから」

この授業スタイルをとっている。

 

でも、だとすると、

ぼくたちの多くは、

一流のイラストレーターがわかりやすい絵で表現したり

一流の音楽家が音楽付きで表現したりする

以上のものを作れません。

 

このことを、本気で受け止めるべきです。

 

あなたが作っている

プレゼンテーション的に授業をしようとしている教材は、

本当に、子どもにとって魅力的ですか?

テレビや

YOUTUBE

などで流されているもの

以上のものを作れていますか?

 

そうでないとすれば、

それらを使うとしても、

使い方を工夫しないと、

 

こちらが子どもに教えているのではなくて、

子どもがこちらに付き合っている時間になってしまいます。

 

暗黙のうちに、

子どもたちと

先生との

立場が逆転しています。

 

ぼくたちは、

この逆転の現象に気づいています。

でも、その逆転の現象は

外にあると思いがちです。

 

子どもたちが大人を尊敬しない

子どもが先生を尊敬しない

社会が学校を大切にしない

 

それもあるとは思いますが、

残念ながら

気づかないうちに、

ぼくたち自身が、

そのきっかけを、

子どもたちの前に与えているのです。

これに気づかなければ、

「自分のクラスでは」子どもたちが荒れていきます。

 

そもそも、このようになるきっかけも、先生がつくっている

そもそも、

「考える力」を身に着ける

ということは、

今やってしまっている

画一的な授業を否定するような子どもたちを 

育てているのです。

 

「考える力」

とは、


大人が優位に立てるように考える力

相手に従うように考える力

 

ではありません。

 

「自ら考え主体的に行動する」人間は

算数の授業でもそうですし、

そのほかでもそうでなければいけない。

そうすると、その場がおかしいと思えば、そこで

先生にも反対する子どもたちなのです。

 

ぼくたちは、

そのような子どもたちを育てながら、

そのような子どもたちが生まれると、

「なんで、素直にいうことを聞かないのか」

と考える。

これは、ぼくたちの、先生の、ご都合主義ってやつです。

 

長くなったので、急いで結論を!ーぼくたちが今できることは?

では、

ぼくたちにできることは何か?

 

新しい学び方

 

を子どもたちに与えていくことです。

 

ぼくたちは、

子どもにもそのための心構えをさせていきます。

 

だれより

ぼくたち自身が、

そのことの重要性を認識していくことが必要なんだろうな。

 

そして地域や保護者の側にも、

「新しい学び方」を学ぶ子どもたちを

支えようという雰囲気を広げていかなければいけないですよね。

 

「学校に行くべき」という発想すらも、

一緒に考える。

というより、

むしろ、そういうときこそ、

そのような問いに、みんなで取り組めることが、

学校のよいところだと

みんなで考えるような 取り組みをしていきたいものです。

 

「なぜ学校に行かないといけないの?」は、

少し深く考えてみると、

本質的な指摘を含んでいます。

 

「今受けている教育が一番正しい」

「大学には何がなんでも行くべきだ」などの言葉を、

盲目的に信じ込ませるようなことはしてはいけません。

 

絶対に変わらない価値は存在しないということを覚悟した上で、

「自分の頭でしっかり考えて判断しよう」と助言し、

具体的な問いかけに落とすことができる人として、

子どもの隣に存在すること。

 

この、「具体的な問いかけに落とす」「子どもの隣に存在する」が、

ぼくは、大切だと思っています。

この具体的な問いかけに落とすことができるためには、

ぼくたちは、

よっぽどそのことを考えていないとできません。

 

でも、たとえば

プロの水泳選手は

水泳についてしっかり考えているから

水泳を教えようとした時に、

子どもたちの質問に答えられる

答えられるから、

子どもたちが目の前で悩んだとしても

その側に

堂々と存在することができる。

 

これは、簡単ではないですよね。

だいたい、

ぼくたち自身が

そのような 学校を体験したことがないのですから・・・。

 

でも、だからこそ、

クリエイティブだし、

このクリエイティブを追求するからこそ、

 

ぼくたちの仕事を

<AIの時代にも必要な仕事>

と言わせることができるのではないか・・・

 

そんなふうに 感じます。

 

このクリエイティブな部分を追求することは、

学びの連続です。

 

でも、この学びの連続に挑戦する姿こそが、

子どもたちの

「新しい学び方」の手本になれるのではないでしょうか。

 

答えを知っていることではなく

答えを探し求めている姿こそが

それを楽しそうにしている姿こそが

 

ぼくたちが 

未完全の人間として

子どもたちに示すことのできる

最高の贈り物だと

思っています。

 

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学びはたのしいぜ!