ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

おすすめ|ブログ|「学級経営」を学ぶということの難しさ。実践知をどう共有するか(いわせんの仕事部屋)

学級経営はむずかしいです。

でも、現在の学校教育ではやはりこれを語らずにはいられません。

学級経営について、じっくり考えてみませんか。そんなこえが、今回のいわせんさんのブログから聞こえてくるようです・・・・

 

教育界の新しい動きは新しい方法や技術として提案され、教師はそれを現場に適用すれば解決するというわけですね(導管としての教師)。ここにおいて実践知とは目的に対する手段の関係となり、転移可能で脱文脈的なものとして捉えられています。

 

「こういうとき、どうしたらいいのですか?」という質問はあらゆるところで繰り返されますし、それにまわりも必死に答えようとする。でも、解決を必要としている問題には、歴史的にも文化的にも文脈が存在しているという視点が無視されてしまっています。これでは、困る。いわせんさんが、次の所で書いている通りです。


しかし、佐藤(1997『教師というアポリア)が指摘するように、教師の仕事は「不確実性」を特徴としています。いつでもどこでも適用できる確実な方法はないことは、現場の教師は日々実感している当たり前のことです。だから日々大変なのですよね。AすればBになるなら、みんな苦労していないはず。

つまり文脈から切り離された理論や教育技術として蓄積されていく現状では、どうしても実践者と乖離が引き起こされてしまいがちです。そもそも教師の実践知とは、普遍的に確立された客観的なものではなく、個人的な文脈とは切り離すことができません。

(いわせんさんのブログより 佐藤学氏の著書名だけ追加しました)

 ここをじっくり味わいです。

いわせんさんのおっしゃるこの部分を、自分のものとするだけでも、自分の実践を客観的に振り返るすてきな視点を与えてくれるはずです。

 

どうか、一読してください。

 

 

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