ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

算数|「はてな?」が生まれた時に算数が始まる、ということを共有したい。

教師どうしで考えているときに話題になるテーマのひとつが、子どもたちの中の理解の違いです。クラスの中にはすでに「今日やる内容」を知っている子どももいれば、学習が苦手な子どももいる。そういう状況で授業をどう進めようかということは、しばしば話題にあがります・・・。

 

 

はじめに

この問題は、様々な方向に展開しますよね。

この違いに目が向いている背景には、「違いがよくない」という潜在的な意識が働いていたり、「一度でわかる」という誤った思い込みがあったりするからだと思っています。

でも、ここでは、1年生の算数導入の時期に、押さえていくべきことを考えていきたいと思います。この時期に、ここを押さえておくかどうかで、この後の算数との付き合い方に変化がでてくると思うからです。

 

数えるということ

1年生の最初は、数えるということがよくあります。

たとえば、りんごを数える。みかんを数える。公園の男の子を数える。すべり台をしている女の子を数える。様々なものを数えます。

それが、後には、丸を数えたり、ドットを数えたりと展開していきます。

でも、その前の段階では具体的なものをいろいろと数える活動を大切にしたいところです。

 

でも、この「数える」をそのままやらせた場合、子どもたちの多くは課題を達成することができる。いや、場合によっては、できてしまう・・・という表現の方がよいのかもしれません。幼稚園・こども園・保育園などでも、こうしたことはよくあることだし、また、家庭でも経験していることだから。そうすると、「数える」なんて簡単!となってしまって、そこでおしまいになってしまいます。

 

でも、この「数える」活動で大切にしたいことは何でしょうか。

そのひとつは、「何を数えるのか」という数える対象を明確にする大切さを感じるということだと思っています。

 

たとえば、公園で遊んでいる子どもの場面を提示したとしましょう。

ブランコで遊んでいる男の子もいれば、砂場で遊んでいる男の子もいる。サッカーのような球技をしている男の子もいるとします。

 

ここで聞き方はいく通りかあります。

  1. ブランコをしている男の子は何人ですか。
  2. 男の子は何人いますか。
  3. 何人いますか。

1番が一番具体的です。

2番の問いでは、ブランコの男の子を数える子どももいれば、砂場で遊んでいる男の子を数える子どもも、サッカーをしている男の子を数える子どももいる。また、ぜんぶの男の子を数える子どももいるでしょう。

3番の問いでは、多くの子どもは数え始められないかもしれません。何を数えてよいのかわからないからです。

 

では、授業をするうえでどの問い方が一番すぐれているでしょうか。

ブランコをしている子どもの数や砂場で遊んでいる子どもの数を正確に数えられるかどうかを確認したいなら、1番がよいかもしれません。でも、この場合、多くの子どもは数えることができる。つまり、「できることをさせておわる」という授業になってしまう恐れがあります。また、ここでの間違えは、数え間違えの可能性が高い。

 

もし、「ものを数えるときに対象をはっきりさせることが大切」ということに気づかせることがねらいなら、3番の問いも悪くない。

なぜなら、そこでは、「先生、何を数えてよいのかわかりません!」という反応が子どもから帰ってくると想定できるからです。そのときに、

 

「なるほど。たしかに、何かがわからないと数えられないよね。何を数えるかをはっきりさせることって大切だよね」

 

のように受け止めて、評価していくというのは、いかがですか。

子どもが発見したことを評価するという形で、子どもの学びを深めることができるからです。

 

整理して、丁寧に質問したのでは、「先生、何を数えたらいいんですか?」という問いは子どもから生まれないですよね。これでは、子どもは言われたことをやっているだけになってしまいます。これは、算数の姿ではありません。

 

課題があったときに、自らのわからないことを明確にすることは、算数の中でももっとも大切なことの一つです。だからこそ、この子どもからの「はてな」をクラス全体で大切にしたいです。そして、この「はてな」を出せるような授業を作りたいものです。

 

計算間違い

計算問題をしているとき、子どもが計算間違いをしてしまった。

さあ、このときどう対応するか。ここにも、先生の価値観があらわれています。

 

「6+2」

と問われて、「9!」と元気に答えた子どもがいるとしましょう。

このときの対応は、どうされていますか。

  1. 「それは、ちがうよ。」と間違いを指摘する。
  2. 半具体物などを渡して、実際に試すように声をかける。

じつは、ぼくは、この2つには、共通点があると思っています。それは、違うということを教えている指導だということです。それでは、「違うことに気づく子ども」や「間違いに気づいて自ら再挑戦しようという子ども」を育てることができません。

だから、できるだけしないように、心がけています。

 

では、どうするのか。

ぼくは、こういうとき、それはそれでちょっとおいておいて、(まあ、ほかの子どもたちが、「ちがうよ!」と言ってしまうことがしばしばですが・・・)しばらくしてからクラスのなかで、「6+3」を話題にします。

そのときにも、答えは「9」になってしまう。

そこで、気づいて欲しいわけです。「え?6+2も6+3も『9』?・・・おかしいぞ・・・」と。そうなれば、「やりなおしなさい」なんて言わなくたって、自分でやり直します。

そこで、すかさずその姿を認めます。

 

「いいね。自分で、『ちがうかな』って思った時にたしかめようとしている。そのすがたがすてきだね」

 

と。

 

ふりかえり

はてな?」が生まれた時に、そこから始まるのが算数だと思っています。

だから、算数の授業をする子どもたちと一緒にいるのは楽しいです。数学的活動を実践していくことが求められていますが、活動を増やせば増やすほど、子どものあやまりにどのように対応するかが求められると思います。そして、その対応の仕方によって、「やさしいクラス」にもなれば、「そうでないクラス」にもなってしまう。

ぼくは、子どもたちに、「算数は、探検みたいでしょ」「ゲームみたいでしょ」と語り、子どもを問題解決の過程を楽しむ世界に引き込んでいくことが、出発点として大切だと思っています。

ここから始まる、子どもたちと算数・数学との長い付き合い。

だからこそ、ここを大切なポイントととらえるようにしています。