ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

読書|4月からスタート!間違えられる教室を作るための、基礎。ーわたしはこのまちがえをばねにもう一歩成長できる!」

『教室はまちがうところだ』ー蒔田晋治さんの本のタイトルです。

4月のスタート、この絵本をよまれる先生も多いのではないでしょうか。

担任として大切にしたいことが、とてもストレートに描かれていますよね。

まちがいから出発できるクラスを創れるか。

しかも、年度のスタートでそういうクラスに向けて一歩踏み出せるか。

これは、一年後の学級の姿に、大きく影響をあたえます。

 

 

 

はじめにー絵本の中の一文から 

 

まちがうことをおそれちゃいけない

あじゃないかこうじゃないかと、みんなで出しあいいいあうなかでだ。ほんとのものを見つけていくのだ。 

(『教室はまちがうところだ』より)

 

新しい教室にはいった子どもたち。

まちがうことがこわいのは当然です。

ぼくたちは、

この事実からはじめないといけないと思います。

 

このドキドキを理解できるから、

そのドキドキに対して手を打つことができる。

そして、そこから、ドキドキを乗り越え、繋がりあえるクラスになります。

 

ぼくだってまちがえたくありません。

でも、その間違いをおそれずに挑戦できる

クラスを創るというのが挑戦。

 

クラスの中のいじめなど、

様々な問題があります。

複雑です。

でも、クラスのなかの雰囲気がよくない場所では、

まず間違いなく、

「間違いを恐れずに挑戦する」ことなどできません。

 

こうして、いつのまにか、 「まちがえてはだめ」と伝えている

あるとき、ふと疑問に思いました。

 

ぼくたちは、

いつから、

なんで、

「まちがえたらいけない」って思うんだろう・・・

 

1年生になっていない我が家の息子も、間違いをきらっています。

 

うまくいかない自分を認めたり、

間違ってしまったということを認めるのが嫌なようです。

 

でも、教室の中で間違いを嫌う子どもたちの心理は、

個人的なことだけではない気がします。

 

ここを整理しないと、

どんなに口すっぱく

「教室は間違うところだ」

「間違いを恐れずに言ってごらん」

などと唱え続けても、

子どもたちは間違うことを恐れ続けてしまう。 

 

そこで、ぼくなりに、

「気づかないうちに、間違えたくないと思わせている教師の言動」を考えてみました。

 

1.間違いダメを伝えているとき:誤答に対して表情がくもったとき

授業をしていると、

なかなかこちらが期待している答えが出てこないときってあります。

 

そうすると、こちら側もあせってきます。

 

すると、

「まちがえた答えを」言われたときに、

無意識のうちに表情がくもります。

そして、正解を言われると、そのあせりや不安から解放されるので、ほっとします。

 

ほっとしたことはきっと表情に表れているはず。

こわばった表情をしていた先生が、正解でほっとするのだから、子どもたちは「まちがえたらだめ」というメッセージを受け取っていると考えられます。

 

この表情のくもりと晴れは、

思いの外子どもたちに強い影響を与えていると思います。 

 

2.間違いダメを伝えているとき:ヒントカードを与えるとき

授業で悩んでいる子どもを見かけると、

ヒントカードを与えたり、

困っているときにそっと側に行って助け船を出したりしてしまうことがあります。

 

でも、もしかすると

このときも、

「まちがえないように」

「まちがえたらかわいそう・・・」

というメッセージを発信してしまっている瞬間かもしれません。

 

こういう教師の行動の背景には、

「まちがえたらはずかしいか思いをするから助けてあげたい」

「まちがえたらかわいそう」

というものがありそうです。

でも、そうだとすると、既に教師のなかには、

「まちがえ」=よくない

という考えが、暗黙のうちに存在しちゃっています。

 

このことを意識しないうちは、

口では「まちがえても大丈夫だよ」といい微笑んでも、

「まちがえただだめ」というメッセージを伝えてしまっているのかもしれません。

 

 

3.間違いダメを伝えているとき:よくできた子をほめるとき

教室の中で、よくできた子をほめるっていうことはよくあります。

 

じつは、

 

あのほめている瞬間も、

自分の伝えたいメッセージ以外のことを子どもたちに送っているのかもしれません。

 

「できた子をほめる」ということが

「まちがえてしまった子」の目にどう映っているか。

 

もしかしたら「まちがえたらだめ」という考え方が生み出されているかもしれない。

まだまだあると思います。

 

そして、

こう並べてくると、

ぼくたちは、

「まちがえはこわくない」

とか

「まちがえるところ」

と言っているとき以外は、

「まちがえないように」というメッセージを送ってしまっているのではないか

と、こわくなります。

 

そうすると、思います。

「だったら、なにもできない・・・。」

 

どうしたらよいのでしょうか? 

 

4.考え方を変えて

でも、

あらためて考えてみると、

間違いはやっぱり間違いなんです。

教室の中でどんなに許されても、教室の外ではそうはいかない。

だから、考え方をかえました。

 

「間違えてもいいんだよ」という言葉は本音です。

 

子どもたちにはそのように伝えます。

 

でも、「間違えはいいことだよ」ではない。

 

その間違いが生まれたとき、

はっきりさせるべきポイントは、

 

その間違いをもとにもう一歩成長できる

 

ということじゃないかな。

 

そう捉え、次の行動ができることに価値がある。

 

1回1回の間違いに対してどうするかは、

人が成長するうえでとっても大きいと思います。

 

だからこそ、

間違えたときにどうするかを学ぶ場所になるという意味で、

「間違えてもいい」し

教室で「間違えから学ぶ」んだ

とぼくは整理しました。

 

間違えを成長のステップにする習慣がつくれた人は、

「まちがえ」をおそれる必要がない。

だって、それが新たな自分への出発なのだから。

 

「わたしは大丈夫。だって、わたしはこのまちがえをばねにもう一歩成長できるから」

 

と考えられる人に育ってほしいです。

 

さらには、

ぼくも、そういう気持ちで、

どーんと挑戦できる、先生でありたいな・・・。

 

 

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「教室はまちがうところだ」をぼくは学級開きのころに使います。