ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

学級経営|心理学|子どもの環境デザイナーとしての教師が求められている

ヴィゴツキーの心理学説は、人間の心理発達の法則性や心理過程の基本原則を明らかにする(たとえば、発達の最近説領域など)。 

今回は、ヴィゴツキーをもとにして、学校の先生について考えてみたいと思います。

ここ何回かの学びで使わせていただくのは、柴田義松先生の『ヴィゴツキー入門』(寺子屋新書)です。

 

 

 

「子どもが今日、協同でできることは、明日には一人でできるようになる」というのが、ヴィゴツキーの基本的なスタンス。

 

「教育学は、子どもの発達の昨日にではなく、明日に目を向けなければならない。そのときにのみ、それは<発達の最近説領域>にいま横たわっている発達過程を教授の過程において現実に呼び起こすことができる」

 

この考え方自身は新しいわけではありません。

 

それでも、現実には、いまでもまだ、この原則に反して、子どもがすでに一人でできるようなことを基にした授業が平気で行われている面があるといいます。いまの、自分の実践を振り返っても、どきっとする部分もあります。

できることを中心に反復させているとき、子どもたちをコントロールできているように感じてしまうところがあるとすれば、それは要注意ですね。

 

実際には、単なる知識の伝達と練習とを目的とするような授業を続けるとすれば、有害なところもあるぐらいです。なぜなら、<学習をつまらなくさせる>という、教師がもっとも犯してはいけない罪になる可能性があるからです。

 

ヴィゴツキーの原則からは、「異質協同の学習」の重要性が強調されます。

異質な能力を持った子どもたちが協同で学び合うことに意味があるというのです。

これは、最近のプロジェクトを中心とした学習などとも基盤となる部分でつながれるのかもしれません。

 

 

教師が子どもを教えることはできない!?

ヴィゴツキーは、教師が子どもを教えるということに対しては、懐疑的です。

「教育は、生徒自身の経験をとおして実現されます。その経験は完全に環境によって決定されるものであり、そこでの教師の役割は、環境を組織すること、規制することにあります」(『教育心理学講義』p.29)

 

 

いうならば、教師は、環境を変えることを通して、生徒に間接的に影響を及ぼすものだというのです。


教師の子どもへの働きかけは、主としてことばを媒介にし、だれにも目に見え、耳に聞こえるものであって、わかりやすい。でもヴィゴツキーは、「厳密にいえば、科学的観点に立てば、他人を教育すること」はできないとすら言う。

この指摘は、教壇に立つ者は、心しておきたい部分だと思います。

どこかで、「教えられる」という暗黙の了解があって、その結果生み出されるのが「黒板の前で、板書しながら、子どもたちに語り、それを子どもたちに写させる」という授業の形にあらわれていると思えるからです。

 

「(園芸家は)環境を適切に変化させることによって、花の発芽に影響をおよぼします。それと同じように、教育者も環境を変えることで子どもを教育するのです。」(『教育心理学講義』p.27)

 

 

学校の意義・意味

では、学校、もしくは教師は必要ないのでしょうか?

そうではなくて、教師は「環境を変える役割」を遂行することによって、存在意義があるといえます。

 

教育するということは、生活を組織することであり、子どもたちは正しい生活のなかで正しく育つのです。(『教育心理学講義』p.133)

 

 

学校がいらないというのではなく、教師がいらないというのでもなく、子どもの発達にふさわしい環境を整える、デザインする役割を担う存在として必要と考えられます。

 

学校の現状は

一方的に、「知っている者」としての教師が、「知らない者」としての子どもたちに、一方向的に知識を与える授業は、すでに必要とされていないか、ますます必要性がさがってくると思います。こうした一方向の授業は、まだ、多くの学校で、このような授業を見かけますが、すでに、求められていません。

 

まずは、この事実に目を向け、受け止め、自分たちが変わる決心をしなければ、今の学校は必要とされなくなってしまうでしょう。

 

もし、子どもの学びの環境デザインを担う者としての役割を大切にできるなら、今、あらためて学校・教師の役割は大きくなっているとも考えます。

  

文科省の見解:文科省は、現代の子どもたち(の生活・現状)について次のような認識を示している。

 

○21世紀の社会は知識基盤社会であり、新しい知識・情報・技術が、社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増していく。こうした社会認識は今後も継承されていくものである。

◯近年顕著となってきているのは、知識・情報・技術をめぐる変化の早さが加速度的となり、情報化やグローバル化といった社会的変化が、人間の予測を超えて進展するようになってきていること。

とりわけ最近では、第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来が、社会や生活を大きく変えていくとの予測がなされている。

人工知能の急速な進化が、人間の職業を奪うのではないか”“今学校で教えていることは時代が変化したら通用しなくなるのではないか”といった不安の声もあり、それを裏付けるような未来予測も多く発表されている。

○情報技術の飛躍的な進化等を背景として、経済や文化など社会のあらゆる分野でのつながりが国境や地域を越えて活性化し、多様な人々や地域同士のつながりはますます緊密さを増してきている。

○このような時代だからこそ、子供たちは、変化を前向きに受け止め、私たちの社会や人生、生活を、人間ならではの感性を働かせてより豊かなものにしたり、現在では思いもつかない新しい未来の姿を構想し実現したりしていくことができる。

人工知能がいかに進化しようとも、それが行っているのは与えられた目的の中での処理である。一方で人間は、感性を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのか、どのように社会や人生をよりよいものにしていくのかという目的を自ら考え出すことができる。 

 

等(「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の 学習指導要領等の改善及び必要な方策等について」より 一部変更して抜粋)

 

このような環境の中だからこそ、大人が子どものそばにいて、子どもの成長に貢献できるような環境をデザインすることが必要だと思います。こういう点では、いまだからこそ、学校が、先生が求められていると感じます。

 

 

ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書)

ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書)