ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

「自分だったら、次のような意見がきた時に、どのように答えるだろうか・・・」と自問する

「自分だったら、次のような意見がきた時に、どのように答えるだろうか・・・」と考えることが、教師としての学びには役に立つ角度だと思っています。

 

ITジャーナリストとして活動する私ですが、最近国内外さまざまな業種の企業と関わるなかで、特に日本の教育に危機感を覚えるようになりました。AIの発達に伴い、人間の創造性や考える力が重視される時代になってきたにもかかわらず、日本は学校という大きな仕組みを通じて同じ型にはまった人を世に輩出しているのです。これは、日本の未来にとって大きなダメージだとすら感じています。

世の中に対して疑問を持ったり、その疑問について考えたり、クリエイティブな価値を創造したりということが、これまでの教育には欠けている ような気がしてならないのです。(「あスコラ」ボードメンバー 林氏の言葉)

こうして、最後に、「先生は、どのようにお考えですか?」と来たら、どうしますか。この林氏の社会の分析、ぼくはよく理解できます。ただ、準備していなかったら、このようなことに対して答えることができない。

答えられないとき、そこで信頼を得ることができるのでしょうか。

答えるということは、「正解」をいうということではい。

ここで、「正解」をいうことをイメージするならば、その先生は、すでに、「正解を第一に考える」傾向をもっている。すると、授業づくりもそういう授業になっていく。

答えるということは、自分なりの考えをもつということです。

 

ぼくは、先生も、社会に目を開かなければいけないと、最近つよく感じています。

子どもたちとドッジボールをすることも大切です。

ぼくは、それが一番大切なことだと思っているところもあります。

でも、同時に、20代前半で大事にしているものと40代で大事にしているものが変わらないとしたら、子どもに成長を求める者としてどうかと思うのです。

 

社会が変化している。それもすごい勢いで。

「自分が大切にしている子どもたちは、はたしてその中でも幸せを築いていけるか」

そういう問題なんです。ぼくたちにとって、社会の問題は。