ぼくのきせき

「子どもの心に火を灯す ⇄ 自分の心に火が灯る」 実現めざした学びの軌跡

おすすめ|読書|子どもに未来を語るんだもの。 未来を真剣に考えよう。(『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』)

『LIFE SHIFT』を読みました。

2019年1月25日現在でも、amazonの労働問題社会学のカテゴリーでは、ベストセラー1位に位置していて、書店などでもめだつ棚に並んでいることが多いので、ご存知の方が多いと思います。

ただ、学校という場でこの本のテーマについて語り合おうとすると、なかなか相手が見つからず・・・。というところです。

 

 

 

本の紹介概略 

この本は、「寿命100年時代、どう生きるんだろう?」という問いに対して、 1つの見方を提示してくれます。

 

amzonは、商品の説明の箇所で次のように紹介しています。

 

誰もが100年生きうる時代をどう生き抜くか。

働き方、学び方、結婚、子育て、人生のすべてが変わる。

目前に迫る長寿社会を楽しむバイブル。

世界で活躍するビジネス思想家が示す、新しい人生のビジョン。

みんなが足並みをそろえて教育、勤労、引退という

3つのステージを生きた時代は終わった。

では、どのように生き方、働き方を変えていくべきか。

その一つの答えが本書にある。

100歳時代の戦略的人生設計書。

 

amazon より)

 

ぼくがこのブログに書くのだから、この書籍の概説というより、学校で働く者としてのこの本の意味を考えたいわけです。

そうすると、やはり、大きく頷く箇所があります。それは、次の指摘です。

 

引用①:旧来型の教育機関の大半は3ステージの人生を前提に運営されている。

言うまでもなく、旧来型の教育機関の大半は3ステージの人生を前提に運営されている。引退や老後資金は「人生の終わり」の問題、教育は「人生のはじめ」の問題という発想だ。現在のさまざまなコミュニティや友人グループと同様、教育機関の多くは「年齢階層化」されている。初等・中等教育、大学、大学院、「成人コース」という具合に、対象年齢がはっきり決められているのだ。その結果、教室にはほぼ同じ年齢の人だけが集まり、年齢の均質性が生まれている。・・・

学校や大学は「あらゆる層の若者と中年と高齢者が互いのことを深く知り、相互の経緯と協力関係をはぐくみ、思いやりの精神を一つの社会規範として復活させるための場になりう」ると、社会科学者のヴァレリー・ブレイスウェイトは主張している(pp.367-368 下線はぼくが引きました)

 

これ、すごくわかるんです。

学校にいながら。

そして、この問題は大きいなって最近感じています。

 

引用①を現場で考える

たとえば、保護者の方々と話をするとき。

保護者の方々には、すでに、この変化が見えていたりすると、もしくは保護者の方々が生きている世界が既にこのような社会の変化を当然と考える場所だったりすると、学校という機関が育てている子どもたちというのは、まったく現実社会に適していないわけです。

めざす子ども像の違いは、保護者と学校との信頼関係に直結します。なぜなら、めざす子ども像が違えば、ひとつひとつの出来事にどういう意味を見出し、そこで起きていることにどのような価値付けをするかが異なります。そうすれば、その都度、「なんかちがう」という感覚が生まれ、それが日をおうごとに積み重なっていく。そうすると、信頼から生まれるような関係は結びにくくなるだろうと思います。

 

同時に、そういう地域では、公立の「学校」というものが得てきた信頼みたいなものが崩れつつある場合が多いので、「学校として」あるいは「学校の先生として」まるで当然のように考えることは、相手に「当然」としては受け止めてもらえない。そうすると、保護者および地域と学校との関係がギクシャクしてくるのではないでしょうか。

 

ぼくは、今の時点で苦しんでいるわけではありません。

でも、若い先生やベテランの先生で苦しんでいる方々をよく目にするし、そういう方の話も聞きます。「昔はよかった・・・」的なことも、今までにも聞いてきました。でも、時代が変わり社会が変わったいま、「当たり前」が通用しないのです。

 

これは、いま、都市部を中心にまさ始まっていると思います。そして、すごい勢いで広がっている問題だと思います。気づいていないのは、まさに、職員室のなかだけかもしれません。

力のある先生たちは大丈夫なのです。なぜかって、その方々は、「個人として」信頼を

得ているからです。こういう地域は、「学校だから信頼する」ということはなくても、すべてを否定しているわけではないと、ぼくは見ています。

「個人として信頼する」ことはしてくれるわけです。

 

Aという問題があったら、「学校としては・・・」というのではなく、自分の信念の中で動く。責任が生じた時には、それをも覚悟して動く。「失敗は許さない」と見られているように感じている方もおられますが、そんなことはない。いま許されていないのは、「学校だから大丈夫」と、「学校安全神話」を信じてしまうことだと思います。

 

ぼくはこの本を読みながら、ぼく自身の存在は、「学校」から出たら何ができるのだろうと考えて、ちょっとつらくなりました。40歳を迎えようとしている今、「学校だから」信頼を得ているのか、「ぼく個人として」信頼を得ているのか。そう考えてみると、学校の先生だって、「個人として」見て欲しいはず。

 

引用②:テクノロジーイノベーションと長寿化の進行の影響により、教育という古い産業が大きな脅威にさらされていることは明らかだ。

テクノロジーイノベーションと長寿化の進行の影響により、教育という古い産業が大きな脅威にさらされていることは明らかだ。新しい教育機関と新しい教育サービス、そして既存の教育目標を達成するための新しい方法が生まれるだろう。長い人生を生きる人たちのニーズに応えるために、教育機関は4つの課題を乗り越えなくてはならない。それは、新しい学習テクノロジーと経験学習を取り入れること、年齢の壁を壊すこと、創造性、独創性、やさしさ、思いやりを教える方法について深く考えること、そして、テクノロジーの進歩に対応するための実践的な専門教育を急速に拡大させることだ。(p.366より)

 

この4つに絞るかどうかは、ぼくはもう少し考えたいところだが、それでも新しい学校になっていくうえで、ぼくは生き残っていくことができるのか・・・。

しっかり見極めていかないといけない。。。

 

子どもに未来を語るんだもの。

自分の未来を真剣に考えることから逃げてはいけない。

そして、子どもたちを送り出す世界を考えたいものです。

そんな気持ちになりました。